メモ【認知症】【看護】

  • 天田城介2004『老い衰えゆく自己の/と自由――高齢者ケアの社会学的実践論・当事者論』ハーベスト社

第4章「高齢者ケアの社会学的実践論・当事者論――自己で在る/他者で在ることの可能性」

「関係論的ケア」と言われるようなものの中の差異というか、「関係論」というくくりでは見えてこないような高齢者ケアの困難さというか深さのようなものを記述しているものとして、読む必要あり。同時に、【看護】において、家族を擬制するケアということについて講ずる際にも参考にできそうである。

4章は、この本のクライマックス。各地の草の根的な宅老所へのフィールドワークをもとにして、自己の根源的偶有性を可能としているような関係を生起させる場の可能性を探っている。中身は結構複雑で、二者関係における即興劇ケアモデルだけでなく、入居者たちの群像劇モデルといった話をしたり、公的領域と私的領域でのアイデンティティの保ち方を対比させ、こうした場でのアイデンティティの保ち方がいずれとも違うということを示している。しかも、なんというかそこでの関係は、「承認しあう関係」のようにポジティブに手放しで喜べる関係ではなく、否定性を否定するような場であるというような語り方をしている。

印象に残ったのは、よく高齢者ケアで言われるお年寄りに役割を、というような言い方の陳腐さについて言及している部分。役割やアイデンティティ擬制しながら、即興劇的に関係が作られているというダイナミズムを役割を与えればよいという発想は捨象してしまう。同時に、擬制すべき役割の貧しさについても触れられている。