メモ【認知症】

第11章「介護状況における三者関係」
 木下は「儀礼的関係」と「三者関係」という対の概念を用いて、介護状況を分析していく。前者は現実にそうなりやすいが克服されるべき関係として、後者は老人が社会的に生きることの可能にするため目指されるべき関係とされる。

儀礼的関係
・社会的相互作用の中でお互いが未知なる部分をみつけ合いながら相互理解を深めていくというダイナミズムを徹底的に排除し、お互い相手が何者であるか確定しきった関係
・社会的に逃げられない状況に置かれた人間の間で生じやすい。家族員、病院なり老人ホームの職員。関係の重さは文字通り老人の命の保持であるため
・逃げられない状況に置かれたとき、自由な感情交流を避け、関係が硬直化する。「待ったなしの状況に置かれた老人は、いろいろな表現をとりながら自分の感情をぶつけてくるから」(136)、老人を生かしめている側は感情交流をできるだけ遮断することで自分を守る
・老人にとっての生かされている負い目も儀礼的関係を支える方向に作用する
・言葉のやり取りも動作もパターン化され、コミュニケーションも平板になる

三者関係
・開かれた関係性=共同性
・やわらかいシステム・ケア

 私たちは自分の力だけで生きていくのが困難になった老人を、いかにして生かしめるかという段階だけで議論しているのではないか。そこには、生かされつつ生きていかざるをえない老人の主体性は欠落し、老人たちは客体にとどまっている。介護状況の老人にとって生きる意味を考>139>えることは、必然的に私たち自身の生きる意味を考えることになるから、老人を客体化し、社会問題とする方が心理的に楽なのである。
 さらに言えば、現在の論調は儀礼的二者関係を誘発する介護状況の構造を暗黙の前提にしているのである。介護状況の構造とは、被介護老人と介護者という関係図式にならざるを得ないという点と、その老人の命>140>の保持が関係の重みになるため、この図式が逃げられないほど硬直化するということである(138-40)。

 社会学的にいえば、「交渉negotiation」と「社会的コントロール」を、老人の側と介護する人間の側の双方に確保することである。この2つの概念が現実にどこまで可能になるかに応じて、介護状況の関係性は柔らかくなる。つまり、硬直化しがちな関係における自由度を大きくするための概念である。特に重要な点は、この双方にとって、ということであり、関係性の自由度が増すにつれて双方の情念も解放されていくだろう。そうすれば感情交流の極小化に歯止めがかけられていくはずである(140)。

 以上のように述べ、木下は、第三者性を担う存在として訪問看護婦、ヘルパー、ボランティアなどを位置づける。ああ、きちんと読んで引用しておくべきだった…。

第18章「問題行動とわがまま」
 ここもメモったのに消えてしまった…。オン書きすべきではない…。
 忘れてしまったが、確か問題行動は変えようのない行動として理解する時に出てくる言葉で、わがままは、施設という組織の中における規範からの逸脱として理解されている時の言葉だ、という話だったと思う。行為における規範を、すべきだ、から、してはならないまでの五段階にわけ、老人ホームにおいてはしてはならないという規範が強いというような話だったような…。