関係論【認知症】

 論の流れとしては、並行しているが、しかし論理的に同居させることが難しいように思われる潮流を、それなりに総合的に理解するための枠組みを提示した上で、なぜ、ミクロな場面での実践を見ていくことが重要なのかを、若干の例示をまじえて示していくという感じになるか。いわば先駆者として以下の本を読む。木下の本は、基本的には看護学雑誌への連載なので、専門職に向けて語るという文章になっている。

第5章「問題行動の社会学的分析」
 後半で「問題行動」の類型として、「徘徊型行動」を挙げ、それに対する対処のあり方として、「ぼけに付き合う式のアプローチ」と「事実に基づく現実認識にあくまで引き戻そうとするアプローチ」の2つを挙げている。

第6章「生活史とバイオグラフィー

 

ケアのためには、とにかくその老人について知る必要がある。ところが、この“知る”という行為は非常にむずかしいものである。無論、経験的にはだれもがある程度はわかっている。つまり、当座必要な事柄については普通知っているし、また知らなければ知ろうとするのだが、このレベルを越えたところで“知る”ということの意味を理解する試みは必ずしも十分ではないと思われる。
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 例えば、個人情報にしても現在と過去という時間特性と身体面に関することとそうでないこと(非身体面)という情報内容とを座標軸にして整理してみると、図2で示したように四領域に分類できる。すなわち、
 (Ⅰ)身体状態に関する過去の情報――詳しい既往歴や薬物に対するアレルギー反応の有無など、あるいは、比較的近い過去のこととしてその老人がケア状況に身をおくに至った身体上の諸問題とその経緯などである。
 (Ⅱ)身体状態に関する現在の情報――ケアの出発点であればその時点での身体状態についてのアセスメント、ADLレベルの把握などであるし、ケアが始まってからはその時点、その時点にお>116>ける現状把握を意味する。いったんケアが始まると身体状態は大小さまざまな変化を示すものであるから、的確な現状把握が必要になるとともに情報は次々に過去のものとなる。したがって、時間の経過によって第Ⅱ類情報は第Ⅰ類情報に移行していく。この点は第Ⅲ類情報と第Ⅳ類情報の関係も同じである。
 (Ⅲ)身体面以外についての現在の情報――これには、ケア状況におけるその老人の生活状態全般の把握、心理状態、ケア従事者や他の老人たちとの関係の在り方、家族との関係など、身体面以外の情報がすべて含まれてくる。
 (Ⅳ)身体面以外に関する過去の情報――その老人がどういう人としてそれまで生きてきたかが、この領域の情報である。生いたち、家族関係、職業経験、主要な個人的体験、背景にある歴史的、時代的特徴などを始めとしてここに入る情報は、仮にすべてを知ろうとすれば膨大な量になろう。
 ケア状況に現れた老人は、それまで(過去)とそのとき(現在)のその人なりの人間関係、社会関係の世界を背景にもってくるのだが、始めの段階では家族関係などの主要な部分の、それも表面的なところしかわからないものである。しかし、時間の経過につれてその老人がケア状況で引き起こすさまざまな問題の根が実は、そこには不在の人間との関係にあることが多いのも事実である。
 したがって、人間関係の継続性を理解することが第Ⅲ類情報と第Ⅳ類情報の主たる目的と考えられるわけで、ケア状況の特性に照らしていえば第Ⅳ類情報の比重が当然大きくなる(114-16)。

 その後、生活史とバイオグラフィーという話に移り、ケア提供者が情報を獲得することについての話に移っていく。
 木下のいう生活史は客観的な事実に当たるもので、バイオグラフィーは「その老人を自らの人生の語部(かたりべ)とし、彼/彼女によって『現実』の集積として語られる生きてきた軌跡と定義されるものである。したがって、バイオグラフィーは客観的事実である必要はない」。生活史とバイオグラフィーを対比させている。