ワークショップ

 今日は昨日話題にしたイイトコサガシの講演&ワークショップでした。学外からの参加も多く、雨でしかも平日という悪条件であったのにも関わらず60名超の参加があり、関心の高さが伺われました。参加者の中には発達障害の当事者、親、支援の専門職、研究者、学生など様々な立場の人たちがいて、ワークショップも結構盛り上がっていたように思います。

 面白かった点は様々あったのですが、私の関心から興味深かった点を少し。

 イイトコサガシというのは「コミュニケーション能力」を高めるワークショップとしてうたっているわけですが、その際の「コミュニケーション能力」という概念に対しては、主催者側でもその表現で良いのかどうか議論があって、微妙なニュアンスで用いているという点。
 講師によると、ここでいう「能力」とは、社会的な基準・モノサシに沿って高い低いを測るようなものではなく、その人の中でより円滑なコミュニケーションができるというようなことを指していて、そうした個人の中での「より良い状態」を目指すようなものだということでした。

 確かに「ワークショップで「コミュ力」を高める」という話を聞くと、実際に「高まる」とはどういうことなのか?とか、どのくらいの期間参加すれば効果があるのか?とか、ある意味での「成果」的なものが質問として出てくるのは必然で、そうした質問をしている参加者の方(おそらく当事者の方)がいました。

 それに対する講師のリプライの一つは先に述べたように「個人の中でのより良さ」といったものでしたが、もう少し、ここでの議論を、講師の他の質問に対する答え等から、私なりに、解釈して考えてみたいと思います。
 
 おそらく、今日の話を聞いた限りのイイトコサガシの面白さは、(宣伝的にはともかく)「ワークショップ参加→何か目に見える(客観的・あるいは主観的)効果がある」というような話にではなく、多様な人とコミュニケーションのできる場のようなものをたくさん作っていく際に、こうしたワークショップ形式のやり方がとても効果的である、というようなことにあったのではないかな、と思います。
 「〜力」と言ってしまうと、あたかも、その個人が何か大きく変わるというような印象を持ってしまいます。しかし、イイトコサガシが結果的に達成していることは、むしろ、生きづらさを抱え続けなければならない人たちが、その生きづらさとともに、やりくりしながら生きていく際の、ある種の助けとなる重要な場を提供しているというようなことなのではないでしょうか。そんな風に感じました。
 
 こうした明確な効果測定(エビデンス的な意味での)では上手くその意義を捉えきれないというような話は、これまでSHGの効果を巡って議論されてきたこととも似ているなあと思いました。そして、そのことに対して「物語論」という観点から答えを出そうとした下記の本を思い出したのでした。もちろん今日のワークショップとはまったく違う話なのですが、エビデンス論的なものに話を横滑りさせられてしまわないような語り口として参考になるのではないか、とも思った次第です。(最後はあまりワークショップと関係なくなってしまった…)。

セルフヘルプ・グループの自己物語論―アルコホリズムと死別体験を例に (質的社会研究シリーズ)

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