講演会と上映会と飲み会と

 昨日から今日にかけては学内でイベントが目白押しで、すべてに観客として参加できて、二つとも終了後の打ち上げに参加してより深い話を聞けるという幸運に恵まれました。

 昨日の午後には、『感染症と文明』の著者である山本太郎先生の講演会で、人間と感染症(細菌・ウィルス)との「共生」に関するお話。感染症の個人への感染が、集団としての「適応」(=免疫力の上昇)につながっているという「事実」を前提に、「感染症と戦う」という考え方は間違っていて「共生」をするという発想が重要なのかもしれないという話。当然、こうした形で「共生」という概念を設定すると、その際の「犠牲」となる人とは誰か、という問題系、そして「規範的な決定」すなわち「政策」をどうすべきかという話が出てくるわけだが、それについて、政府の感染症対策にもかかわってきた山本先生も考えていないわけではなく、その後の飲み会では歴史学者倫理学者、人類学者、社会学者などを交えてそうした点が議論になった。「感染」は必ずしも「民主的」なものではないとすると、薬の分配や、予防接種に関する政策決定、そうしたことが主題としてあがってくると言えるか。そういえば、オーストラリアに行った時にアボリジニの予防接種率の低さというような話をしていて、そうした議論とも絡むか。

感染症と文明――共生への道 (岩波新書)

感染症と文明――共生への道 (岩波新書)

新型インフルエンザ―世界がふるえる日 (岩波新書)

新型インフルエンザ―世界がふるえる日 (岩波新書)

 山本先生の講演の後には、アジアジェンダー研究センターの企画で、浜野佐知監督の講演と、『百合祭』のダイジェスト版上映がありました。『百合祭』は高齢者のセクシュアリティみたいなことに言及する授業でこういう作品があるよ、と紹介はするものの、実は見たことがなく、ダイジェスト版ではあるものの見れてよかったです。予告と宣伝文だけで持っていたイメージとは結構違っていました。予告・宣伝からは、女性の中にプレイボーイの男性が一人入ってくるというような部分が印象深く、いわゆる「奪い合い」の面が強調されていたように思うのですが、実際見てみると、「奪い合い」を超えて「共有」していき、最後は女性同士も含めて、より「自由な性愛関係へ」というような話でした。LGBT系の映画は何本か見たことがあるのですが、確かに異性愛から段々と変化していくという描き方はあまり見たことがなかったので新鮮でした。
 土曜日は、『百合子、ダスヴィダーニャ』の上映と浜野監督と脚本家の山崎さんのトーク。『百合子、ダスヴィダーニャ』は、着物を含めて映像がきれいで(パンフレット見たら例の着物姿の澁谷知美さんが解説を書いていたw)、長いセリフを中心とした脚本も、文学的な雰囲気で引き込まれて見ることができました。上映終了後のトーク、またその後の飲み会で、制作の裏話や細かい部分の解説も聞けて、パンフレットも買ったので、補足情報もちゃんとインプットし、大満足。それを踏まえた感想とか批評とかはたくさん書きたいことがあるような気もするのですが、始めると大変なことになりそうなのでパスで、一つだけ、浜野監督のトークで印象に残った言葉を記しておきます。
 湯浅芳子は死の直前まで「一番好きだったのは百合子」と言っていたようで、最期の言葉としてこんなことを言っていたとのこと。「さみしくはない、孤独だけどさみしくはない。同じ魂の人間がいる限り」。文脈はぜんぜん違うけども、何となく深く共感というか沁みたのでした。