記述

目次

■第I部 ドラッグについてかんがえる
第1章 ドラッグをもってパーティに出かける
  ― 一九九七年八月、はじまり
第2章 これまでのドラッグの社会学
  ― ドラッグについてかんがえる方法
第3章 こんにちのドラッグ使用
  ― 使いつづけること、そしてその後

■第II部 ドラッグをとおしてかんがえる
第4章 ドラッグをめぐる運動
  ― ドラッグについて語る作法の同一性 
第5章 ドラッグをめぐる政治
  ― ナショナリズム、あるいは「彼ら」と「われわれ」
第6章 ドラッグ問題と秩序構想
  ― 非犯罪化・経済化・リスク管理

終章 ドラッグをめぐる作法と社会的思考
  ― 反復される語りと「社会的」領域

注・あとがき・初出一覧・参考文献・
ドラッグ名索引・事項索引・人名索引

 この著者については、すごそうだということは分かりつつも、自分の中でうまく位置付けられない。対象の設定もよく、フットワークも軽く、ものすごく調べてあるということは間違いない。前作も含めて、何かすごい洞察があるような感じも分かる。だけど、何か記述からうまく読み取れないんだよな。いわゆる単純素朴な(というのは実証主義的という意味ではなく、単純素朴構築主義という意味で)社会問題研究と思わせつつ、東大駒場系のなにやらすごそう(すべてが本当にすごいかどうかは別)な言説研究の味わいも持っていて、その中間というか。
 今回のものは、最初の章のレイヴ参加の参与観察記述なんかを含めて、記述スタイルで何かをねらっているのだろうけど、まだいまひとつ分からない。文章としては面白いが、譲歩の多い文体は何か鼻につく感じがする。

2月18日
 読み終えた。最後の2章分くらいでの社会秩序(の構想)とドラッグ政策の関係を、イギリス、オランダ、アメリカ、日本とを比較しながら論じたあたりが面白かった。単純化すると前二つの国が、社会の中に統合する形でドラッグ使用者を位置づけていこうという方向(統治)。後二つの国が、犯罪化して「やつら」として社会の外に位置づけていく方向(人種主義的?)。パーソンズの病人役割論の拡大版というか応用版としても考えられるような議論という感じ。ドラッグ使用という対象は、医療化という概念が効いてくる領域でもあるだろう。