メモ【看護】

 夜更かしするんじゃなかった。午後はまったく使い物にならず椅子で昼寝。

第4章「老人看護の課題と可能性」
 看護学のカリキュラムで、老人看護が成人看護から分離した際に書かれたエッセイ。著者が関わったことのある特養とも老人病院とも異なる老人コミュニティ(有料老人ホームか?高齢者向け共同住宅か?)で勤める看護師が、なぜ、そこで働くようになったのか、なぜ前の職場をやめたのか、などについて考えながら、これまでとは異なった看護論としての老人看護論を素描しようとしている。

老いのプロセス全体が守備範囲になってくる老人コミュニティ>74>で働き始めたナースたちにとって、さまざまな心身状態にある老人たちと日常的に接していくことは、未経験の部分が多く勝手の違いに戸惑う場合が少なくなかった。
 例えば、一般病院では看護も一時的な関係ですむのだが、このコミュニティのように生活の場にもなっているところでは、同じ人たちをそれぞれが抱えている問題を含めて、ずっと一貫してみていかなくてはならないと感じる。そうした時間的な責任の重さに対して、しんどくなったりする。
 大学病院では歯車のひとつとして動けばよかったが、ここでは逆にひとりのナースの責任が日常的に大きくなる上に、老人たちはなんとかしてほしいという期待で診療所にくる。しかし、とても期待に応えきれるものではない。しかも老人たちの抱えている問題は人による違いはあっても、一人ひとりでみればその都度だいたい同じようなものであるから、期待に応えきれないというパターンが繰り返されていく。(73-74)

このような中で、①病院の患者と違い、苦情や不満が多く、②病院で全人的な見方は教えられているものの、ここでの「全人的な見方」は広がりもレベルも違っており、③老人は緩やかな変化が多く、目に見える成果があがりにくく、家族関係の問題への対応など様々な意思決定への参与が求められるなどの難しさが経験されているという。

 とりわけ、ヘルパーたちと一緒に仕事をすることが、ナースたちの戸惑いを助長していった。看護とは日常生活の援助であると考えてきたのに、ヘルパーたちも彼らの仕事を日常生活援助と位置づけている。ナースでなければできない行為で考えていってもその境目は非常にむずかしいし、どうしてもナースでなければということで分類していくと、自分たちのする仕事はごく限られたものになり、それだけをしているわけにもいかない。したがって、それぞれに専門性があるはずなのにと思いつつ、何をどう分担していったらよいのかわからなくなってしまう。しかも、ヘルパーたちの多くは4年生の大学を卒業した人たちであるから、看護助手ではないし組織的な位置づけでもナースたちと対等な関係にある。チームケアの大切さはわかっていても、こうした形はそれ>76>までに経験したことがないのである。(75-76)。

 ヘルパーとの葛藤については、例えばケアプランを立てる際に、自分たちが重要だと思っている身体的な問題も、やり取りの中で相対化され、ヘルパーの意見に負けていくという。こうした困難の中で、ナースたちがよって立つようになっていったのが、自分たちにとって自信のあるPOSなどのシステム・ナーシングだったという。

つまり、ケアの対象である老人たちを見つめ続けようという意識はあるのだが、その具体的表現は機能的な病院型看護に回帰する方向になっていったために、悩みは逆に深まることとなった。もっとも自信のある方法論が彼女たちの意図とは逆の方向に彼女たちを導き出すという状況になったのである。(77)

こうした記述の後に、この章は医療モデルと生活モデルの違い、後者の重視という方向に流れていく。さもありなん、という結論だが、看護師向け、この時代を考えると、落ち着くべき結論と言えようか。