メモ【看護】

従来、家族領域においてと同様、職業領域においても、ケアはその多くを女性によって担われてきました。たとえば、代表的なケアの職業のひとつである看護職は、同時に典型的な女性的職業でもあります。そして、その理由のひとつには、看護職がその歴史において、「医師―看護婦―患者」という三者関係を、家族における「父親―母親―子ども」という権力関係になぞらえることによって、医療の分野にその職業としての位置づけを獲得してきたという経緯があります(Gamarnikow,1978)。(115)。

※Gamarnikowの論文は、以下にあるようだ。

マルクス主義フェミニズムの挑戦

マルクス主義フェミニズムの挑戦

この章では、以下のコラムあり。男性ホームヘルパーに関する本、山田昌弘の論文、春日キスヨの本(介護問題の社会学?)などと含めて授業のどこかで紹介するかも。

ケア・ワークをめぐる男性問題

 ジェンダーの視点から個々の社会領域を観察する時、そこには多様な形式で女性への抑圧・差別という「女性問題」を確認できますが、一方で、近年「男性問題」>117>への関心も徐々に高まっています。しかし、そもそも「女性問題」とは、男性中心にかたちづくられた社会において抑圧・差別されてきた女性たちの問題であるのに、抑圧者である男性の側にどんな問題があるのでしょうか。ここではとりわけ筆者が行ってきた男性ケア従事者とのインタビューの断片をとおして考えてみましょう。
 「珍しか、ようこんなんなろうと思ったねとかいわれますよ。年寄りの人はやっぱりこうね、女がすることばようするね、男が一生するこたぁ仕事じゃなか、とかね。」(30代男性看護職)
 医療の場において、男性看護職者たちの多くはこうした言葉に直面します。また、時に患者から医師と誤解されて「先生」とよばれたり、女性看護職者と同様の仕事であることを説明しても「もったいない」とケアを遠慮する高齢者もいます。もちろんそこにはセクシュアリティに関わる難しさもありますが、問題はそれだけではありません。
 「(精神科病棟で)安全に、こう押さえて欲しいということで、応援を頼まれたんですけれども、私、説得しちゃったんですね。その患者さんに、まず話しかけて。『どうしたんだい』って。『何でそんなに気が荒れてるの』って感じで、話したら、(女性看護職者に)『そんなのは私たちができるんだ』と。『それ以外のものをして欲しくて呼んだのに、何をやっているんだ』と。」(30代男性看護職)
 彼が同僚である女性看護職から期待される役割は、「力」で患者を抑えるという「男性的」な役割であり、女性たちに可能なケアとは異なるものです。ある病院では、その男性スタッフが新人であるにもかかわらず、「リーダーシップを発揮してくれない」と落胆する女性看護師長もいました。
 ジェンダー体制というものが性差に基づく編成であるならば、既存のジェンダー編成からの女性解放は、同時に男性解放を伴うものでもあるでしょう。男性たちがケアに向かって解放されるために、私たちはジェンダー問題の一面としての男性問題についても目を向ける必要があるかもしれません。(116-117)。