メモ【看護】

看護・福祉=対人社会サービス(ケア)という括りについて(第4章)

「福祉」という言葉の第一の意味は、従来からあるもので、端的に言えば「低所得性に着目した施策」というものである。この場合には、それは生活保護であったり、各種の手当て(母子家庭に対する児童扶養手当など)であったり、施設の提供または収容(救護施設、児童館など)、何らかのサービス(ホームヘルプや相談事業など)であったりと、施策の内容そのものは様々であり、あくまで「低所得性」ということがメルクマールと綯っているのである。ところが、先ほど見たように〝「福祉」が今後の大きな成長分野である〟と言ったり、「福祉関連ビジネス」とか「福祉産業」とか言ったりするときの「福祉」とは何であろうか。その実質的な意味はどういうことであろうか。少なくとも、それは第一の意味の場合の「低所得性」ということではない。/そうした場合の「福祉」の実質的な意味は、おそらく「対人社会サービス」ということ>137>であろうと思われる。つまりこの場合は、あくまでサービスの「内容」ないし特性に着目して「福祉」という言葉を使っているのであり、先程の「低所得性」に着目してとらえる場合とは、言わば切り口がまったく違っているのである。(136-137)

広井は、1990年時点と2020年時点の予測値を比較して、製造業や建設業などの従事者が減少するのに対して、対人社会サービスと呼ばれるような産業(ケア産業)に従事する人が増加することを指摘する。その上で、ケア産業の特性について、以下のように述べる。

【ケア産業(ケア・サービス)の特性】
1)「相互性」……サービスの提供者と受け手(=消費者)との間の「相互作用(インタラクション)」そのものに意味・価値があること
2)「時間」という要素の重要性……サービスのアウトプット(成果)のみならず、サービスが提供されるその過程での「時間」という要素が重要であること
3)「評価」のあり方……サービスの評価において、受け手の満足度や提供者に対す>141>る信頼など、受け手側の要素が重要な意味をもち、またそれがサービスのアウトプット(成果)にも影響を及ぼすこと  (140-141)

さらに、サービスの供給という点について、以下のように述べている。

(a)労働集約的であること、(b)労働力としての女性の比重が大きいこと、(c)非営利組織の比重が大きいこと、という点が指摘できると思われる。〔ちなみに、社会保障学者のエスピン・アンダーセンは、スウェーデンにおける福祉関係職種(公的なものが多い)における女性の集中と、そこから帰結する労働市場における〝男女の隔離(gender segrigation)〟現象について指摘している。〕 (141)

家族の意味(第4章)
 この点については、この本では、ケア市場の拡大による家族の変容と今後のあり方についての指摘という記述で、どちらかと言うと、家族を非説明項とした書き方になっているので、今回授業で使うにはそれほどマッチしない。2000年の『ケア学』で図表込みでもう少し論じているので、そっちを参照。

専門職種間の関係
 広井は、「ケアの科学」を、①「個」への関心・何らかの「治療」/「環境」全体への関心・「治療」より「支援」、②人間科学的/自然科学的、という二つの軸を用いて、4つのモデルに分類している。(以下順番は広井の記述に準拠)。

Ⅰ 「個」&自然科学 → 医療モデル(疾病)
Ⅱ 「環境」&自然科学 → 予防/環境モデル
Ⅲ 「個」&人間科学 → 心理モデル
Ⅳ 「環境」&人間科学 → 生活モデル(障害)

 そのモデルを踏まえた上で、職種間の対立や分業について議論していく。

 これまでしばしば、特に高齢者ケアの場面での「看護」と「介護」の違いということが問題にされ、高齢者介護に関する議論の高まりや福祉・介護職の量的・質的「拡大」のなかで、看護職はある種のアイデンティティの危機という状況に置かれてきた。つまり、医師との関係においては自らの仕事の「ケア」あるいは「生活モデル」的な側面を強調し、他方において、福祉・介護職との関係では、自らの仕事の「医療モデル」としての性格を強調するという板挟み的な状況に置かれてきた。
 その一方でまた、福祉・介護サイドのほうは、先ほど述べたように、生活モデルが医療モデルの単なる手段的・補完的なものとして位置づけられてしまうのでは、といった危機意識をもってきた。このようなことから、時として不毛ともいえるような役割分担についての議論や、"縄張り争い〟的な状況も生まれていたのである(185)。

第一に、これからの「ケア」に関わる対応においては、異なる分野(医療と福祉、心理等々)がクロス・オーバーしていくことは避けられない、というよりむしろそれが望ましいことであり(「重複」よりもむしろ「すき間」ができてしまう方が問題である)、>187>それぞれの分野が同一平面上で互いにまったく重なり合わないように〝境界線引き〟を行うといったことは本来不可能であり望ましくもない、ということである。
 第二に、その上で重要なのは、図5−3に示しているようなケアの「全体的な見取り図」を視野に収めたうえで、各々の職種が、「自分が基本的な『拠点』とする分野(モデル)をはっきりと持ち、その上で、その分野に狭く閉じこもるのではなく、他のモデルを貪欲にとり込み、積極的に"越境〟していく」ということだと思われる。それぞれがそうした"越境〟を行っていくと、当然業務の重なり合いが一部に生じるが、いま述べたようにそこでの仔細な線引きにこだわるのは不毛であり、それぞれの職種の独自性やアイデンティティは、むしろ各々が拠点とするモデルの独自性によって(看護職なら医療モデル、福祉職なら生活モデルというように)確認されるべきなのである。(186-187)

 以上の議論には怪しいところたくさんで、特に、介助-障害学的な議論を入れたとき、職種間の「重複」が本当に問題ないのかとか。それぞれのモデルの独自性をアイデンティティとする(すなわち専門性として認識する)ということが、そんなに言うほど簡単なことなのか。そもそもモデルの独自性に立ち返るとはいかなることなのか、とか。