二つの視点【医療社会学】

 医師や看護師が自分の介護経験を書いたりする本は結構ある(米山公啓とか)。そこで一つのテーマとなるのは、身内の場合、冷静に専門職としての視点を保てない、という話。こうした事例は、あらゆる場合がそうなのかどうかは別として、医療社会学の授業の導入に使えるかもしれない。

 後編から読んだので、パーソナリティとか背景がよく分からないが、ガンを専門とする外科医の医師が、自身もガンに侵されていると検査の結果分かる。(この主人公はどうも、スピリチュアルな力を持っているようで、おそらく近代医療とスピリチュアリティの相克か邂逅といったあたりがテーマなのか)。
 その医師が、実感のないまま、元々患者であった女性と関係を持った後に、以下のように心中の呟きを発する。

 ガン患者はどんなときに、自分がガンであることを自覚するんだろう。
 自分を確認するように、しなだれたペニスを触る。柔らかくなった自分の一部。これは僕なのか。違うのか。
 いまだ自覚症状がない。歯茎から血がでることか。疲れやすいことか。そんなこと免疫が下がっているときはいくらでもあるだろう。僕は本当にガンなのか。確信がもてない、自分のことなのに。
 多くの患者は検診でガンを発見されても自覚症状がないんだ。のん気に暮らしているときに、いきなり宣告される。どうやらあなたはガンです。驚かれるのももっともです。肝臓はとても静かな臓器ですから自覚できないのは当然です。だから手遅れになるケースが多いのです。発見できたことはとても幸運ですよ。
 医者は笑顔でそう言う。僕もそう言ってきた。
 だが、信じられるか。僕はいつもと変りなく生きている。絶好調とは言えない。疲れているし倦怠感はあるけれど、それ以外には痛みもない。痩せて顔色は悪いが、ふつうに働ける。セックスだってできるじゃないか。

 医療に基づく診断と、自身の身体感覚に関する違和感のギャップ。

 困りましたね、信じられないならこれをご覧なさい。ほら確認できる影が三つもありますよ。米つぶ一つに十億個のガン細胞がびっしり詰まっています。このガン細胞、おとなしく固まっていればいいけれど、一人で旅に出てしまう。困ったものです。血流に乗って、流れ流れて別の臓器にたどりつき、そこで増殖するんです。多分、あなたの身体のなかには、発見不可能な小さなガン細胞があちこちに散っている。そして、自分の住みやすい場所を見つけて、そこで仲間を増やしていきます。
 この説明も何度もしたな。ひどい話だ。患者の気持ちなんかこれっぽっちも考えちゃいない。医者の一方的な言い分だ。
 さあ、がん患者の斐川竜介。どうする。……。