買った本

連帯の新たなる哲学―福祉国家再考

連帯の新たなる哲学―福祉国家再考

 人に薦めておきながら、この人を扱った日本人の論文しか読んだことなかったのであった。最初の方だけ読んだが、後期の社会政策論の授業の新たな展開につながりそうな内容。読みやすい感じ。

 最初の2章くらいを読んだが、久々におもしろく読書ができている感じ。福祉国家論は、耳学問レベルだが、なじみと耐性ができているせいか、結構読みやすい(6月23日)。

 読了(6月28日)。車中にて、酔いそうになりながら雑に読んだため、よく覚えていないが、読後感として、分かりやすいがもう少し!という感じ。
 多分、最初の方を読んで、保険とか、社会問題の把握の仕方、それに対応する社会連帯の技術みたいなもの(特に、集団や階級として把握できず、個人のライフコースなどとして現出してくる排除の問題に関して)についてもっと議論されることを期待したからだろうか。
 2部に入ってから、いわゆるワークフェアについての議論が主になっていったが、この辺にあまり目新しさを感じなかったためか。

 ただし、権利としての社会権の特異性の話とか、この筋の研究をしている人にとっては、きっと重要なことが議論されているのではないかと思う。結局自分が雑に読んだということに過ぎない。

 あー、あと、雇用・労働の方に話がシフトしていって保険の話が背景に退いていったことも、想定とちょっと違っていた。

 しかし、全体的に読みやすくて、おもしろかったのは確か。
 

障害の政治

障害の政治

 なんといっても、ディスアビリティ・スタディーズのバイブル。要はマルクス主義から障害を扱うということだと思う。その後のイギリス障害学の展開は、まさにイギリスっぽく、カルスタっぽくなっていく感じ。青い芝、立岩氏、星加氏の日本の方が一歩も二歩も進んでいると思う。訳者の山森さんはまだイギリスにいるみたい。三島さんは早くソーシャルワークの歴史研究の本出さないかな。

 と、5章くらいまで読んでみる。生産様式に注目するという点では、確かにマルクス主義の発想だが、彼より前のフィンケルシュタインの議論が、発展段階論の色彩を強く出しているのに対して、もうちょっとディスアビリティという現象を複雑な過程として考えようとしている。マルクス(下部構造)、コント(理念の展開)、ウェーバー(合理化過程)を比べながら、話を展開していく。また、医療化の話や、障害を扱う人類学批判など、奥が深い。

読了(6月23日)。最後の方の、運動論になってくると、新しい社会運動としての障害者運動、という感じで、あんまりおもしろくなくなってくるような。訳は前半の方が良いような気がする。あるいは訳の問題ではなく、なじみにある議論だから、前半の方が読みやすいということか。

生と権力の哲学 (ちくま新書)

生と権力の哲学 (ちくま新書)

 学会で自分の位置の危うさに気づき、やっぱりこの筋をやってかないといけないかなあと思い、買ってみる。しかし、アガンベンに至るような線を、実際に起こっていることを素材に考えていくチャンスは、逃してしまったくさいのだな。せっかくの大縄跳びに入るチャンスを…。

  • 第1章 不可視の権力――生政治学とは何か
  • 第2章 「真理」の系譜学――フーコーの課題
  • 第3章 「人間」のつくられ方――『狂気の歴史』から『監獄の誕生』へ

まで読む(6月22日)。

読了(6月23日)。アガンベンのところが勉強になる。著者は、デリダ-レヴィナス系列に対して、フーコーの生政治学系列の「いかがわしさ」を対置させて展開して行きたいということらしい。ドゥルーズは相変わらずよく分からない。ネグリってそんなに持ち上げるべき人か、という感じもする。

福祉史を歩く 東京・明治

福祉史を歩く 東京・明治

 街歩きのお供に。

あと、いただきものとして、

-東京大学社会学研究室・建築学研究室2006「住民参加型地域福祉の比較研究」

 昨年度の調査実習報告書でもある。いくつかの先進的介護施設(ケアタウン鷹巣、富山のこのゆびとーまれ、神奈川、千葉のワーコレ系施設など)の比較研究。まだ読んではいないが、やはりなんだかんだ言っても、この機動力には感嘆する。