『かぞくのくに』

 夏休みに映画を観よう、ということで、一応「家族関係論」と関連する映画を。
 東京に出張がてら公開2日目に見てきました。かつてはオールナイト上映とか足繁く行っていたテアトル新宿。席指定制になっていてびっくりでした。観客は(私の持っているイメージの中の)この劇場には珍しく、年配の人が多かったです。これは映画の性格によるのだろうか。

 感想は…かなりぐっと来てしまって、あまり言葉にできないというか、したくないのです。国家をテーマとした映画でもあるし、家族の映画でもある。北朝鮮への帰国運動の中の家族と言うと、マジョリティの日本人からは、「特殊」な話なのか、と思うのかもしれないけども、そこで描かれていることは家族というものの特質を表した普遍的なものだと思いました。
 自分の意思によってどうにもできないことがそこにあり、身悶えするシーン。単純に見れば、不条理な国家の力というふうにも読めるのだろうけども、私は絡み取られるような家族の桎梏のようなものを感じました。家族の「絆」のようなものが持つ複雑でねじれて、この、ああ、言葉で表現できない…というような感じがとても出ていて、私は自分も身悶え、本当に驚くくらい涙しながら見ていましたね。
 言葉にしないとか言っていて結構書いてしまいましたが、監督のヤン・ヨンヒさんのインタビューを下記で読めます。一部引用。

http://www.outsideintokyo.jp/j/interview/yangyonghi/2_03.html

YY:いえ、スーツケースの部分は記憶でなく、こういう風に終わりたいという感じでしたね。どの街を歩いているか分からないけど、お兄ちゃんが行ってしまった後、家で泣いているシーンで終わりたくないというのはありました。どこか引きずっているけど、昨日までの彼女と違う、みたいな。それに日常から始まるシーンにしたいというのもあって。最近、外を歩いている人をふつうに見ていると、みんなリュックを背負ったり、スーツケースみたいなのを引きずって歩いているように見えるんです。つまり、みんな何かを背負って生きているじゃないですか。それで、この人はどんなことを背負ってるのかなと想像しながらスタバに座ってたりして(笑)。DVにあったことはないのか、親はどんな人だったんだろう、今どんな悩みを抱えているんだろうとか、色々と想像しながら見ているんです。そしてスーツケースがまさにそんな感じです。この一週間がなかったとしても、リエ(安藤サクラ)はもう何かを背負っているんだけど、このことがあった後は(なおさら)お兄ちゃんへの思いで包み込むというか。この後、二度と兄に会えなくなっても、死ぬまで兄は消えない訳だし、いくら父に反発しても家族(との縁)は切れない訳だし。家族がしんどいのはそこですよね。離婚は、離婚しちゃえばもう会わなくて済みますね。結局、血の繋がりというか、子供はそうはいかない。子供がいるとなかなか親同士も(縁が)切れないし、恋人同士なら別れてしまえば他人になれるけど、家族は離れても消えない。いや、相手が死んでも消えないんですよ。超面倒臭いというか、ウザいくらいつきまとってくるわけです。みんなそうなんですよ。家族って何だろうって。(私の場合)ずっと昔から、自分の家族が重荷だったので。なんでこんな家に生まれたんだろう、なんでうちの父ちゃんは焼肉屋にならなかったんだろう、同じ在日ならパチンコ屋くらいでよかったのに、とか(笑)。