メモ【医療社会学】【健康科学概論】

  • Armstrong, David, 1995, The Rise of Surveillance Medicine, Sociology of Health & Illness, 17(3): 393-404.

Despite the obvious triumph of a medical theory and practice grounded in the hospital, a new medicine based on the surveillance of normal populations can be identified as emerging in the twentieth century. This new Surveillance Medicine involves a fundamental remapping of the spaces of illness. This includes the problematisation of normality, the redrawing of the relationship between symptom, sign and illness, and the localisation of illness outside the corporal space of the body. It is argued that this new medicine has important implications for the constitution of identity in the late twentieth century.

 美馬達哉さんの「リスクの医学」論のネタの一つとなっている論文。Library Medicine から Bedside Medicine、そしてHospital Medicineになり、20世紀に入るとSurveillance MedicineとMedical Gazeが変化してきたよという話。
Surveillance Medicineの論理においては、症状や兆候と疾患みたいな位相の違いとそれを結びつける病理学はそれほど重要ではなくなって、身体の内部要因も外部要因もすべてリスクファクターとなって等価になる。そしてそのリスクに対処すべく、ライフスタイルへの介入みたいな医療になるよ、と。結果として、健康と病気の二分法が融解していき、健康人へを含めた人口全体が対象となるよという感じ。こうしたSurveillance Medicineの元では社会科学のプレゼンスが増してくる。著者が医者なので、いわゆるフーコー派の言っていることを、きちんとした概念で書いた感じか。
 この論文の言っている社会科学のプレゼンスの増大という点について。著者のフィールドであるイギリスと対比させてみると、最近の日本における健康格差論は、医療の中でプレゼンスを増しているというよりも医療の外側でのカウンターという感じがして興味深い。すなわち、そもそもの社会医学的なものの居場所がないから、医療の中で、それまでの医学・医療と社会科学とが手を携えるみたいな感じにならないというか。
 日本だと、リスクの医療に対応した医学側の反応は、熟年体育大学とか、高齢者の健康増進活動みたいなやつだろうか。そして、社会科学的とも言える健康格差論はその外側にあって、批判役になっているというか。日本は臨床医学のプレゼンスが異様に強い(公衆衛生や社会医学が極端に弱い=学生運動などで医局から外れた人がやる学問)ということを反映しているか。
(※いや正確に言えば、アームストロングがこの論文で言う社会科学も、階層とかそういう議論ではなくて、心理・社会モデルみたいなものを指しているのかもしれない。そうした厚みがあった上で、社会政策学・公衆衛生学の厚み(Black Reportとか)の中で生まれてきた健康の不平等論がまた登場し…みたいな感じかな。きちんと勉強しないと分からない)。