一気に読了

滝山コミューン一九七四

滝山コミューン一九七四

 小学校時代をここまで対象化できたのは、当時すでに引いた視点を持っていてかつ強烈に嫌な事があったからだろうか。著者も書いているように、都心の塾に出て行ける資本を持っていたということもあるのだろうな。内藤朝雄さんの本に書かれているような強烈な経験とは異なるが、著者が描いたような、ぼんやりとした気持ち悪さみたいなものの方が、確かに小学校〜中学時代は怖かったなと、色々と思い出した。

 母親は小学校教員で、父親より母親の方と話はよくしたが、何となくその考えに対する共感交じりの違和感をずっとぬぐえなかったのも、学校の論理の気持ち悪さみたいなものをずっと感じていたからだと思う。幸いにしてうちの親は、そこから距離をとる自由を与えてくれたからよかったのだが(上手く表現できないし、言っても分からないことだと思うから、伝えることはないと思うが、親に対して最大に感謝するとしたらこの点だ)。