メモ【認知症】

  • 下村恵美子2001『九八歳の妊娠――宅老所よりあい物語』雲母書房

 いまでも、施設ではいろんな○○療法、○○セラピーが行われています。それは何もないよりはあったほうがいいのかも知れません。でも、その前にすることはいっぱいあるはずです。いくら何でも、ウンコをつけたままで、鈴を鳴らすのはやっぱり可哀想です。ちゃんとトイレに行って、スカッとした気持ちで鈴を鳴らせば、気持ちのいい音色が出るかもしれないのです。それは熱心な職員と一部の患者さんだけの演奏でした。実習生担当の看護婦さんに、「どうだった?」と聞かれたので、「私は、鈴よりやっぱりウンコやと思います」と答えると、「あなたは、まだまだね」と言われてしまいました。
 そうした体験をとおして、一体医療とは何なのかという疑問が膨らんでいきました。ウメさんというお年寄りがウメさんでなくなっていくのに、一カ月もかからない。元気なときはタンスを動かしたり、拳骨でガラスを割って歩いていたようなばあさんが、薬を処方されて寝たきりにされていく。それを見回ってきたお医者さんが、薬で動けなくなっているお年寄りに向かって、「だいぶ落ち着かれましたね、もう大丈夫です」と言うのです。精神科のソーシャルワーカーの仕事は、私には絶対にやれないと自信がなくなりました。
 当時は、「痴呆」で「問題行動」が起きてくると、精神病院しか頼るところがないという現実がありました。「痴呆」の老人を受け入れてくれる病院は、家族から見ればありがたい>40>存在だったのです。その意味で、一定の社会的な役割は果たしていたのでしょうが、私はお年寄りがぼけたとき、年をとったときに、最後にこういう選択肢しか用意されてないのだとすると、これはちょっとうかつにはぼけられないな、と真剣に思いました(下村2001:39-40)。

 徘徊だとか、帰宅願望だとか、異食だとか、マスコミも含めて「痴呆」という現象をとらえて大騒ぎをしていますが、ぼけるというのは、老いていく過程で自然に起こってくることだと思います。ぼけを特別な病気だと位置づけてしまうと、特別な施設をつくって、特別な治療を工夫して、特別な医療と訓練と薬でますますぼけの世界に追い込んでいく、ということになりかねません。いままでの、「痴呆」のお年寄りに対する医療の側からのアプローチは、常に「特別な病気の患者」という位置づけでした(50)。