非人格化【看護】【認知症】

  • Chambliss, Daniel F., 1996, Beyond Caring: Hospitals, Nurses, and the Social Organization of Ethics, The University of Chicago.=2002浅野祐子訳『ケアの向こう側――看護職が直面する道徳的・倫理的矛盾』日本看護協会出版会

第5章「物として扱われる患者 The Patient as Object」

 医療機関にとって患者とは、慣例化した方法によって処置をされ、生体力学的存在として扱われるべき対象物である。患者は非人格化されるのが慣例となっている。すなわち、その実生活や生活歴とは切り離され、家庭からも物理的に引き離され、それぞれの専門家によって治療される各身体部位の複合体として扱われる。患者はさまざまな方法でこのようなやり方に抵抗し、>164>ナースや医師もこの慣習を打ち破ろうと試みるが、慣習は依然として残っている。これらのケースでは、道徳的問題は偶発的な病院の構造から生じるのではなく、広く浸透している科学的な医療形態の結果として生じている。現代医学は本質的に、患者を医学の対象物として扱う。患者はそれに抵抗し、その結果生じる抗争が「倫理的問題」として浮かび上がるのだ(163-4)。

 その後、チャンブリスは、病院スタッフと患者の間にある学歴や階層の差について論じた上で、以下のように述べる。

 

若くて学歴もあり、白人で裕福であるといったように、ある意味でスタッフに近い患者も少しはいるが、多くの患者は全く違っている。しかし、いずれにしても決定的なのは、彼らは患者だということであり、このこと自体が、あらゆる違いの中で最も大きなものであろう。定義からして患者は違うものなのであり、医療の対象物としての存在がここから始まるのである(166)。

 

患者が背負わされている病気というものの概念、そして患者であることの概念とは何であろうか。基本的に病院は、現実に対して準科学的である。化学や生物学を基盤とし、定量的手段に依拠し、そして事実の生理学的解釈を最優先とするなど、多くの科学的手法を用いている。また同時に、経験的な「臨床判断」の妥当性も認めている。医学は多少非人間的なところがあるもので、ルネ・アンスパックの言うように、スタッフの行為は「人間とは別に生物学的プロセスが存在し、診察結果はそれを行う人と切り離すことができ、計測機器から得た知見は、その診断技法を駆使し解釈した人間とは別個の妥当性を持つという世界観を映し出している」。(168)

 その後、患者にとっては、病いの経験は医療者側の定義と異なっているということについて著者は述べている。
 患者は入院する時点から「医学的精査の対象物」へと変容し、家族など日常生活から切り離される。患者は症例であり、大勢の中の一人に過ぎなくなる。
 治療の対象物となることの肯定的効果についても触れている。
 

もちろん、画一化された治療の対象物となることによって、患者が得るものもある。例えば私はこの調査の間、特に不利な点を背負っているにもかかわらず、犯罪者、麻薬乱用者、他人に不快感を与える人々など社会的に「好ましくない人々」の治療が、個人的に、社会的地位の高い人々に比べて軽んじられているのをほとんど見たことがない。「個人的に」と言ったのは、階級としては、貧困者は完全な保険に加入している人々ほど行き届いたケアを受けられないし、時には医師や病院に完全に拒否される場合もある…(173)

 しかし、この後半は誤訳だよね。「完全な保険に加入していない」か、メディケイドの話をしているのか何かか。原書を買うべきか。


 このプロセス[患者として医師の前に現れ観察や治療の対象になっていくプロセス]において、ナースは重要な役割を果たしている。物理的に患者に近く、また患者と顔を合わせ、話を聞き、患者に触れる。ナースはこの接触を自分たちの最も重要な存在意義の一つだと言う。すなわち彼女たちは、ベッドサイドにおいて医師の「眼」であり「耳」なのである。彼女たちは常に患者を見て状態を評価し、観察し、そして常に何が起こったかを記録する。患者の非人格化は、狡猾な医師やナースの個人的な判断でも、高圧的な病院の公式の方針でもない。それらよりも、はるかに根深いものである。この章の締めくくりにあえて言うが、診ることとそれに伴う非人格化こそ、医療システムの核心部分なのではないだろうか。このように患者をある種の対象物――抵抗を示し、そしてコントロールされるべき対象物――と見なすことこそ、医学というものの本質的特徴なのではないだろうか。スタッフが圧倒的な権限を持っていることが非人格化を可能にしており、患者が抵抗し続けるとスタッフ側に倫理的問題が発生する。それは判断能力に欠けていたり不服従であったり、あるいは自己破滅的な患者を倫理的にどう扱うか、スタッフは頭を悩ませるからである(200)。